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アットエスの記事より
全てが恐ろしく見えた。
ありがたいはずの食べ物も服も毛布も―。
5歳と2歳の息子にはアレルギーがある。片倉智穂さん(32)=宮城県東松島市=にとって、11日間の避難所生活は苦しい選択の日々だった。
自宅アパートに津波が押し寄せ、寒さの中を息子たちとさまよい歩いた。警察署。ビルの2階。小学校の避難所。身を寄せた場所で支給されるパンや菓子は口にできない。かゆみやじんましんが出る。
ひどいときには呼吸困難を起こす心配がある。
特に次男には強いアレルギーがある。卵や牛乳に触れただけでも症状が出る。おにぎりにごまが付いているだけで食べられない。日に日に募る空腹感。寒さもあって、夜泣きやお漏らしが続いた。
見た目には分からない。だからアレルギー疾患は普段から周囲に理解されにくい。「神経質過ぎる」と言われたこともある。
周囲の人が、「お子さんにどうぞ」とアメやクッキーをくれる。でも食べさせられない。好意に甘えることができない。歯がゆかった。
味付けのりのおにぎりを食べた次男の下痢が続いた。焦っても車が無く、病院に行けない。急性反応を起こしたら助けられる自信が無い。
毛布のダニも床のほこりも症状を引き起こす。ここには居られない―。石巻市の実家に身を寄せた。
後になって、東松島市役所にアレルギー対応食の備蓄があると知った。「対応食がどこにあるのか。理解してくれる人はどこにいるのか。情報が無かった。それが悔しい」
宮城県多賀城市の「かくたこども&アレルギークリニック」にも全国から支援物資が集まった。ところが、患者に届ける手だてが無い。当初は電話やインターネットが通じなかった。避難所には
個人の物資持ち込みが禁止されていた。
角田和彦院長(58)=静岡市出身=は近くの避難所を巡り、案内チラシを配った。3月下旬にインターネットが復旧してからは、細かく成分を表示した物資の一覧を載せた。
看護師の古関順子さん(46)の自宅は1階部分が津波で破壊された。小、中、高校生の3人の娘には食物アレルギーがある。普段から学校に弁当を持参していた。避難所の食事を与えられない。
「自分で何とかしなければ」と強く思った。
幸い、コンロとガスボンベがあった。営業を再開したスーパーに野菜と米が売れ残っていた。それを鍋に入れ、ペットボトルの水で蒸すように温めて雑炊にした。1週間後、病院とようやく連絡が取れた。
仲間たちがおにぎりを運んでくれた。
通院患者の中には、少しだけなら大丈夫だろうと口に入れて、具合が悪くなった人もいた。空腹か、
アレルギー症状の悪化か―。震災の不安に加えて、多くの患者がぎりぎりの判断を迫られた。
患者間のネット頼り
アレルギー対応食品の備蓄は自治体によって差がある。今回の震災でも、全国からの支援物資が大きな助けになった。患者同士のネットワークが力を発揮する。
浜松市は、避難所に指定した施設201カ所にアレルギー対応ミルクを1缶ずつ備えている。一方、静岡市のように対応食の備蓄が無い市町もある。東海4県の患者会でつくる「東海アレルギー連絡会」は一昨年、一部市町の備蓄状況についてアンケート調査を実施した。ホームページで公開している。
事務局の足代智志さん(浜松市北区)は「患者会として具体的なニーズを自治体に提示することが大事。普段から広域的に情報を共有して災害時に備えたい」と話す。
メモ
食物アレルギーは卵や牛乳、小麦など特定の食品で、じんましんや嘔吐(おうと)などを引き起こす。国内の患者は人口の1〜2%、乳児の10%とされる。
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